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代表ブログ

私の想い

「終活」は義務ではありません。

 

 

「心を込めて」とか「親切」「丁寧」など、簡単で当たり前すぎ てなんとなく嘘くさいですね。

 

どんな言葉で表現すればいいのでしょう?

 

きょうは、私の想いを綴っていきたいと思います。

 

ときどき、風邪をひいたり忙しすぎて体調を崩すことはありますが、私はいつもとても元気です。

しかし、ほんの5~7年前までは、体調が優れない日のほうが多く、家族や同僚にもとても心配をかけていました。

特に、子供が小さかったころはシングルマザーだったこともあり肉体的、精神的にも追い詰められかなり苦しかったです。

体重も40キロを切ることがよくありました。よく言われる「摂食障害」もありました。

いまシングルマザーはあまり特別ではないですが、子どもがまだ2歳になる前に離婚によりシングルマザーになった私は、そのころから「うつ」になりました。30歳くらいから発症して更年期がひどかったのも通算すると約20年くらい「うつ」でした。

「うつ」も今じゃあまり特別ではないですが、かなり悪く「精神障碍者手帳」も交付され何回も精神科に入院しました。

「自殺未遂?」本人は未遂するつもりではなく「死ぬ」つもりでやってますので「未遂」ではないのですが、今生きているので結果的に「自殺未遂」ですが、常習犯で救急隊員から「またですか?」と言われたりしていました。病院をはしごして睡眠薬や向精神薬をもらい両手に一杯を全部飲み込んででもなぜか誰かに発見されて、胃の洗浄をしたり、手首をナイフで切ってみたり・・・いろいろやりました。

ほんとに苦しくて苦しくて「なんで失敗するんだろう?」「なんで死ねないんだろう?」と病院のベッドの上で泣いていました。

でもその時は「死ぬ」ことしか考えつきませんでした。メデイアで自殺する子どもの話など目にすると、追い込まれている人の気持ちが痛いほどよくわかります。

いろいろな意見はあるかと思いますが、「死」をもって自分の気持ちを表現したんだんだなあ。って思います。

何度やっても死なない私はある時それも「自殺未遂」をした病院のベッドのなかでふと思いました。

「私は死んではいけない人間なのではないだろうか?これだけ成功しそうな自殺を企てても死なないのは、生きてやるべき使命があるのではないか?」そう考えつきました。それからぐんぐんと「うつ」の状態が好転していき、今では「うつ」だったのがウソのように元気です。でも「うつ」の人の気持ちや「死にたい」人も気持ちは、よく理解できるつもりです。

 

私は「死」に直面したご家族や亡くなった方の身近な方々のお世話をする仕事をしています。

 

「死」は非日常です。

 

戦争では、死にたいわけではないのに「何かの為に命をかける」

病気と闘い「命を落とす」

不慮の事故で「命を落とす」

自殺する

 

日本ではほぼ100%火葬され、肉体は焼かれ「焼骨」が残されます。

ついさっきまであった肉体はなくなり「骨」が残ります。肉体との別れはほんの数日で、あっという間に「骨」になります。

 

「骨」になってしまった愛する人の「死」を受け入れることはなかなかできることではありません。

ましてやご遺体が不明のままで「死」をうけいれなければならない人々の心は計り知れません。

 

私が常々思っているのは

そのご家族の気持ちに寄り添い、少しでもその痛みを和らげることができたら・・・

苦しみは、その方にしかわかりません。でも少しでもわかってあげることができ、苦しみを分かち合えたら・・・

 

言葉や文章にするのは、本当に難しいです。

 

私の根底にある「家族の笑顔を楽しみにしていた、飛行機事故」で亡くなった方々のご遺族にあの時なにもできなかった、若かった私とは今は違います。

そばにいることができます。話に耳を傾けることができます。どうやって送り出してさしあげようか?と考えることができます。

 

そんな想いで葬儀に携わっています。

 

なんかまとまりのない文章になりました。ごめんなさい。

 

この気持ちが、いろんな困難があっても「葬儀」の仕事を続けていこうと思う原動力になっています。

 

合掌

 

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