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代表ブログ

葬儀やさんとしてできること

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私個人のFACEBOOKのページをご覧の方はわかると思いますが、先日夜中3時にご遺体の搬送をさせていただき、そのままご葬儀のお世話をしたご家族から、お手紙を頂戴しました。ありがたいことに感謝のお手紙のようでした。

 

どのような仕事をしていても、お客様からの感謝の言葉ほど励みになるものはないと思います。私も例外なくお客様、ご遺族さまから「ありがとう。」というお言葉を頂戴すると、本当にこの仕事を選んでよかったなあ。と思います。人間として本当に非日常の一番苦しいだろう状況のなかで「ありがとうございました。」という言葉をいただけるなんて・・・・感慨無量なんです。

 

お客様の承諾を得て、書かせていただいております。

このお仕事はいわゆる「紹介サイト」からの「ご紹介のお客様」でした。正直言わせていただくと私は「紹介サイト」のお仕事はあまり好きではありません。社会的風潮から某〇HKで取り上げられたり、無駄な利益をふんだくる「悪徳葬儀社から善良市民を守る」的なスタンスで、運営されるこのようなサイトですが、これがまかり通るゆえに疲弊を生み、かえって利益を上げるためのあの手この手を考えざるおえない状況を作ってしまっている実情があります。この問題を取り上げると長くなるので今日はやめます。

 

「長崎市某所でお亡くなりになった方がおられますが、ご対応お願いできますか?」と紹介サイトから電話いただいたのは、夜中3時くらいでした。半分寝ぼけた状態で(これはプロとしてはいけませんね)考えたのは・・・「はは~ん。これは某大手互助会が断った仕事だな・・・。以前もこれで大変な目に遭ったから、私も断ろう。」

私:「すみません、弊社の前に某互助会さんから断られた案件ではないですか?」

紹:「おっしゃる通りです。」

私:「申し訳ないですが、その内容では弊社でもお受けいたしかねます。多分大手さんも手間だけかかって儲けがないとの判断だと思います。」

お断りしました。以前にあった「自宅への搬送に無理がある。手間と利益を考えると明らかに赤字!」なのです。

 

電話を切って「冗談じゃない。あんな大変なのに実入りの少ない仕事はしない!!!夜中に起こされて参った。」と思って、また寝ようとしたところ、だんだん目がさえてきて眠れなくなりました。

10分~15分経った頃、断ってしまったことを考えると「その客様方はどうなるんだろうか?」と更に眠れなくなり、今度は居てもたってもいられず、紹介サイトへ電話を入れました。

私:「先ほどのお客様、行先決まりましたか?」

紹:「いいえ、受け入れ先がないんです。」

私:「やっぱり・・・そうですか・・・・」「うち、お引き受けします。ただ、ご自宅では無理なので斎場でのお預かりをお客様に

 ご提案いただけないでしょうか?その際の追加料金は必要ない旨お伝えください。」

  (直葬ご希望のお客様は、夜中付き添いのご安置を希望されると追加料金がかかるので、それを節約するために自宅をご希望の様子でした。)

紹:「ほんとにいいんですか?早速ご連絡してみます。」

 

それから30分くらいたったでしょうか?ご依頼の電話があり出動した次第です。

 

往復80キロあまり走り、斎場に着いたのは朝6時を回っていました。

53歳でお亡くなりの女性は、長い間の入院生活のためだけではないだろう、透き通る白い肌で御髪は漆黒のツヤがありまるで「白雪姫」のようにお美しかったです。しかしながらあまりにも早いご逝去で、ご家族はお父様、お母様と、お兄様の家族3人のみ。

 

前夜からの看病で、ご高齢のご両親はかなりお疲れでした。

とにかく、このお疲れのご様子を少しでも緩和して差し上げたいと思い、自宅にいる私の母に電話をして「たくさんご飯を炊いておにぎりを作って」と頼みました。慣れない家族の死を前に、更に知らない土地に何の縁だか行くことになり、しかも「葬式」。

食べ物くらい、近くのコンビニで買ってくれば済むことですが、そのご様子から、それさえ考えつかない状況が分かります。

家にもすぐに帰れないので、今度は「喪服がないが・・・」と心配は尽きません。「喪服を買いに行く」とおっしゃいます。

宗教者も呼ばない「直葬」で、家族5人だけ・・・私は「喪服はなくてもいいんじゃないですか?」とアドバイスしましたが、どうもそこは譲れないらしく聞き入れられません。そこで、私の家族の喪服をお貸しすることにしたのです。大変失礼ですが「無駄なことにお金を使ってほしくない。」そのお金があれば、亡くなった方へのお花くらい準備できるじゃないですか・・・・と思い。

 

そんなやり取りをした後に、自宅へ喪服と「おにぎり」を取りに帰りました。

「おにぎり」を渡し、「どんなに悲しくてもお腹はすきます。私たち生きてますからね。おとうさん、おかあさん、どうぞ遠慮なく召し上がってください。そしたら少し落ち着いてお休みいただけるかもしれません。」ただただ、少し楽になってほしかったんです。

 

何も言わずにもくもくと召し上がっておられました。

直葬は、通夜も告別式もしませんので、私はご家族だけでゆっくり過ごしていただこうと早々と帰宅しました。

 

次の火葬の日、朝早くに火葬場に行き炉に火を入れました。

 

いままで、いろんな方のご葬儀をお世話して、そのたびに考えます。

「どうしたら、この悲しみを和らげてあげられるだろう?」「なんと言葉をかければ、苦しみが癒えるだろう?」

30数年前の日航機事故の時、かけることができなかった遺族へのいたわりの言葉。今なら少しできるようになったかもしれないと葬儀やさんになったけれど、果たして本当にできているのか???

 

今回 改めて感じたことがあります。

今までそうやって、ご遺族の心を癒そうとか、苦しみから解放しようとか。

 

 

それ間違っていたかもしれません。

私の言葉でご家族の悲しみを癒すことはできません。それは所詮無理なことなのです。

家族の形や状況は様々で、考えることはできても代わってあげることはできない。

 

ただただ、側にいて、式を滞りなく進める。

困った状況が起こったら、一番いいと思える方法を考える。

 

これがすべてなのかなあ。

 

 

合掌

 

 

 

 

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