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代表ブログ

先祖から受け継いだもの

家族葬つばき会館長崎南斎場の代表ブログをご覧いただきありがとうございます。

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お盆真っただ中ですね。今年は例年のお盆と様相が違います。私の息子は福岡に住んでいますが帰省しません。そもそも私がアウェイの地に住んでいるので、帰省の感覚はなく、小旅行気分ですしお盆らしいこともあまりしません。

昨晩から頭が激痛で、起き上がれないくらいになり「他人のお盆のお世話ばかりして、自分ちのことしてなかった!」ことに気付き仏壇に手を合わせ、お経を読みました。「ご先祖様お戻りいただきましたのに、お構いもせずにすみませんでした!」朝から頭を机にぶつけたり、急に頭痛がして熱中症かと心配したり。ご先祖様からのサインでした。

 

このところ、なにかと気ぜわしく仕事や所要をしていましたが、日曜日に新しい名刺用の写真撮影をするので、空いた時間をみつけて「若返りの水」(と呼んでいるが、白髪染め)を飲みにカラー専門店に行きました。

FACEBOOKの投稿にもあげたのですが、残念なことに「御手洗さん」を「おてあらいさん」とストレートに読まれ、もうこの店には行かない!と決意したのでした。

私も、サービス接客業なので「人のふり見て我がふり直せ」ですね。気を付けます。

 

我が「御手洗家」は私の弟が33代目の長く続く家柄で、別に自慢ではないですが「御手洗」には「御手洗」の由縁があるのです。cannonの御手洗富士夫元経団連会長とも、遠い遠い遠い親戚だと思います。

実家には古文書と呼ばれる古い書簡などたくさん残っており、私が小学生のころ九州大学の古文書研究の教授さんが研究にお見えになったりしていました。もっと歴史的に意義のある家はたくさんあるでしょうから何を調べていたのかは、わかりません。

 

想像に難くないと思いますが、子供のころ「トイレ・トイレ」とからかわれたり、目立ちたがりの私のランドセルが黄色だったので「ランドセルをトイレに落として黄色くなったんやろ~。」とか言われていました。なので結婚して「別姓になる」のは心からの夢でした。26歳の時夢がかない「松本さん」になりました。すごく嬉しかったです。普通の苗字であることが!当時JALの国内線カウンターでチケット発券業務などしておりましたが、今では懐かしい「名前と便名」で検索して航空券を発券していました。窓口に「担当は御手洗 千世」です。みたいなネームプレートがあり、お客様から「珍しい名前だね~。」とか話しかけられたり、同姓の方がいらっしゃると妙に親近感が沸き「御手洗家談義」をしたりして、その感覚で「お客様、苗字が同じですね~。」と松本さんに話しかけると「だから何?」みたいな顔されれて。松本さんからみると、同じ苗字のかたなんかたくさんいるしなんでもないんですね。今はFACEBOOKからのお友達で「御手洗倶楽部」というグループを作って「御手洗さんだけの会」1度だけオフ会しました。またやりたいな!

 

その後・・・松本さんと離婚して、息子がまだ2歳になってなかったので「この子は松本家に生まれた子だから御手洗になるのは変だ。」と思ったのと、当時まだ離婚する人が少なく後ろめたい気持ちもあり、そのまま松本さんを選び、しばらく松本さんのままで過ごしました。そして今度は「小野山さん」と再婚することになり・・・更に離婚することになり・・・「小野山さんを名乗るのはいやだ、そうだこの際、御手洗に私の原点御手洗に戻ろう」と思いました。すると私の前に「民法」というあまり関係がなかった法律がたちはだかり、「小野山もしくは松本しか名乗らせません!!!」と。自分の原点になぜ戻らせてもらえないのかが理解できず、弁護士さんにお願いして「旧姓」を取り戻す手続きをお願いしたのです。弁護士さんからも「旧姓に戻る確率は50%です。」とおどされて・・・晴れて「御手洗千世」に戻ったのでした。そんな大変な思いをして勝ち取った大切な名前を「おてあらいさん」なんてストレートに読まれると無性に腹が立つのです。笑。息子には成人になるまでに3回も苗字が変わる大変苦しい思いをさせてしまい、本当に悪かったと謝っても謝り切れません。子供は親を選べませんからね。本当にごめんなさい。

 

なぜ、私が自分の名前にこだわるのか?子供のころあんなに大嫌いだった名前が今では一番の宝物。

「御手洗 千世」の名前の中には、「千」と「手」の文字があり大好きな「千手観音さま」の1本の手となり、悲しみの中にあるご家族や故人様の手助けをしていると思っているのです。

一度なりとも2度も嫁いだ私は、本来「御手洗家」の人ではないはずなのに、裁判まで起こして御手洗を勝ち取りました。大切な大切な先祖から受け継いだものなのです。私の体の中にはしっかりと「御手洗家のDNA」が刻まれて、御手洗の血が流れています。たくさんのご先祖様がこのお盆に私のアパートの小さな仏壇にも帰ってきてくれています。

「ご先祖様ありがとう。感謝します。お父さんありがとう。」

 

あした、送り出します。

また、帰ってきてね。

 

父の上に浮かびあがった、「龍の骨」だと私は勝手に思っている写真。

父と「御手洗家の墓」建立の際、ご相談させていただいていた、鎌倉の某氏。

昔からスピ系一家だったかも!

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