終活について
終活セミナー「葬儀屋さんが考える終活の今」平成26年11月20日
終活カウンセラー : 御手洗 千世
終活について
「終活」という言葉が、世間一般に浸透してきましたね。認知度は高くなりましたが、実際に 取り組んでいる方は、果たしてどのくらいいらっしゃるでしょうか?
やらなきゃいけないと思いつつ、つい先延ばしになってしまいがちなのではないでしょうか?
それは、余命が宣告でもされない限り「死」は自分とは無縁のような、きょうや明日ではないような気持になってしまうからではないでしょうか?
つい最近まで「死」に関する話は、「縁起でもない」ということで、避けられていたと思います。
しかし高齢化社会が進行の度合いを早め、また、医療技術の発達や、介護制度の充実などにより、老老介護の問題や、独居老人(ひとり世帯の増加)の実態が浮き彫りになり、どうしても避けては通れない課題になってきました。
おひとりおひとりの、「立場」「家族構成」「経済状況」「宗教観」様々な状況で、準備しておいたほうがよいことがあると思います。
そのことを総合して「終活」と言います。
「終活」は義務ではありません。
それなのに「やらなくてはならない」と思うのはなぜでしょうか?私が考えるには、
「日本人ならではの美意識」=「人に迷惑をかけてはいけない」。
しかもこの「迷惑をかけるかもしれない」相手は、ご自分の家族や子供、更に、子孫の可能性が高いからだと思います。
ご自身が高齢になり終焉を迎えるにあたり、
「こんなことを子供に伝えたい。」
「延命の措置は受けず尊厳死を選びたい。」
「自宅の安心できる自宅の部屋で最期の時を過ごしたい。」
「お葬式は家族だけで行う家族葬でしてほしい。」
「遺した財産は、争いが起こらないように、こんな形でわけてほしい。」
「お墓には入らず、海洋散骨にしてほしい」などなど・・・・
あげればきりがないほどの希望要望、たくさんの選択肢があり、またそれは一昔前に比べ、実に自由です。
終活セミナー
私は、いろんなところにお招きいただき「終活セミナー」の講師をさせていただいております。
みなさまとお話をさせていただいて感じるのは、一番に「何からどう手をつけていいのかわからない。」ということだと思います。
何度もいろんなとことでお話していますが、「死」に順番はありません。
「若いから、年をとっているから、病気だから、健康だから」これらのことは、多少の要因ではありますが、全く関係のないことなのです。
私が「葬儀屋さん」を目指した心の一番奥にあるきっかけは
「飛行機事故で亡くなった方々のご遺族の悲しみを間近で見た。」このことです。
阪神淡路大震災、東北大震災などでもわかるように 「いつ、どこで、なにがおこるかわからない。」
「大事件に巻き込まれない保証はない。」のです。
どこで、どんなふうに「死」を迎えるかは、「神のみぞ知る」なのでしょうか?予想ができません。
「終活」は、 この「いつ、どこで、どんなふうに死を迎えるかわからない人生を、おびえながら生きるか?」
それとも、「ご自身が納得のいくように準備をして「安心」をして、その後のいつまであるかわからないながらも、楽しく朗らかに生きるか?」
この選択だと思います。
残念ながら人間は100%「死」を迎えます。
このことは今の高度な医療技術をもってしても 120歳以上生きた人はいない。
誰も避けては通れない問題なのです。
いつかは、必ずやってくるものならば「自分らしく、納得のいくように!」と考えるのは無理もありません。方法はたくさんありますし、全てが自由です。
遺されたあなた自身の人生を「ゆたかで、愛あふれる、充実したものにするために是非 「終活」をすることをお勧めいたします。
そのお手伝いやご相談をお受けしています。
どうぞ、お気軽にお問合せください。
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